「ノートの持ち込みOK ■テスト廃止」
変わる 定期テスト
これは、昨日11月27日(水)の朝日新聞・社会面のメイン記事である。
「ノートの持ち込みOK」という文言を見て、❝面白い❞と思い記事を読み進めた。
記事を要約すると、以下のような感じであった。
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福岡県須恵町のある中学校で行う定期テストでは、「自学ノート」なら何冊でも持ち込むことができる。
生徒の机には、カラフルな付箋が貼られたノートがある。10冊以上積み上げた生徒も。
どの教科も問題が多く、記述が中心。終了のチャイムが鳴ると「難しい」「時間足りん」の声。
以下は、国語の問題例。
⇒新聞のコラムにタイトルをつけさせたり、「コンビニはなぜ『曲がり角』なのか」を121字以上で書かせたり…。
この取り組みは今年度から。年間4回の定期テストを2回に減らし、「自学ノート」持ち込みがOKに。
「自学ノート」は毎日1ページ以上自宅学習し、教員に提出する自作ノート。原則「手書きのみ」。
教員は毎日中身を点検するという。
ある女子生徒の反応は
「最初は嫌だと思った。勉強しても差がつかない」
しかし、問題が増えて難易度も上がり、ノートを要領よくまとめなければ時間切れ。
結果的に、
「毎日ノートに整理するようになって、頭の中がスッキリした」
ある男子生徒は
「ノートをわかりやすくまとめるようになった。付箋も初めて使った」
この取り組みで、中学3年生は実力テストで平均偏差値が昨年比1ポイントUP。
定期テスト見直しのきっかけは、1月に校長先生が定期テストの全廃を提案したこと。
理由は「一夜漬けを助長し、本当の学びにつながらない」から。
とまどう教員もいたが、ノートの持ち込みを認めることで決着。
生徒以上に試されるのは教員で、「ノートを見ただけでは解けない問題」にするため、
「どんな問題を出すか考えることで授業改善にもつながった」とある教諭。
前出の校長は「大学入試が知識偏重の学力観を変えていく中、生徒も教員も保護者も変わらないといけない」
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この取り組みはすばらしい。
子どもたちの「自主性」を上手に育て、「学ぶこと」の本質と期待感を高めていると言える。
「知識を運用し、アウトプットする力」を育てるには、旧態依然ではならないのである。
しかしながら、多くの子どもたちは「本当の学び方」を知らないまま育っている。
少なくとも千葉県東葛飾地域の公立中学校では…。
私は、現状の定期テストの在り方を「瞬間記憶力確認テスト」と揶揄し続けてきた。
学んでいるというよりは、「暗記」という「単純作業」をさせているだけだからだ。
先日、授業の漢字テストで「肝要」を書けない子が多かった。
漢字練習のノートには「肝要・肝要・肝要・・・・・・・」の羅列。
子どもたちは、漢字の練習は「つまらない」という。まったく期待感を持てていない。
正直、がっかりしてしまうが、きっと定期テスト対策もそうして「作業」しているのだろう。
例えば、社会科は「考える科目」であるにも関わらず、ワークの知識を繰り返し覚えている。当然「面白くない」。
これでは成績が多少伸びたとしても「飛躍的な向上」は期待できない。
私たちは授業中に必ず「板書」をする。
授業のノートは素早く書いて(自分が読み返せる程度に)、「自宅で工夫してまとめ直す」ように指示をしているが、
なかなかこれができない子が多い。学校の授業はプリントの穴埋めが多いらしい…。
自宅で再度まとめ直すことの効果は計り知れない。面倒と思うかもしれないが、面倒なことにこそ価値がある。
1、授業を頭の中で「映像化」して甦らすことができる。
『このとき、先生こんなこと言ってた!』というように。
2、授業中には気づけなかった「不明点」が出てくる。
『これって、どういうことだろう…? → 調べる』というように。
3、それがこの世にたった一つの参考書(自分の学習の軌跡)となる。これは復習の強力ツール。
『問題練習をして間違えたらこの自学ノートを見直そう』というように。
ほかにもいくつかあるが、このくらいにしておこう。長くなるので。いや、もう十分長いが…。
この地域の中学校で、記事のような定期テストが採用されるの難しいのかもしれない。
それならそれで仕方のないことだし、学校以外の場所で、そのような「学びの本質」を学べればよいと思う。
ここで一つ言いたいのは、「学校でやらないから、この地域には必要なない学び方だ」と考える方がいたら、
それは楽観的過ぎるだけでなく、その先の未来を見据えるための視野が狭すぎるということだ。
現在は小中学生で、競争相手は地域の同世代であっても、いずれ「大学受験」「採用試験」を受けることになる。
そこでは「全国区」なのだ。義務教育時期から、記事のような学び方をしてきた人と渡り合うのだ。
その中で「生き抜く力」は十分に育っていくのであろうか…?
私はこの記事を、「とある地方の斬新な取り組み」としてとれたのではない。
子どもたちの未来のために、他人事とは思えず、「危機感をもって取り組んでいく必要性」を
改めて認識する良い機会と捉えている。
記事にあるように、「子どもたちも、教員(塾などの機関も)も、保護者も」変わらないといけない。
社会での競争力を持つ人を育てることができる環境づくり、これまで同様、妥協せず取り組んでいきたい。